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そもそも『解放されたエルサレム』って、、なに?

前回の投稿からあまり日を経たずに、今回の投稿ができました。よし、よし。笑



さて今回は…そもそも、今回の演奏会の題名の




    『解放されたエルサレム』って、なんなの??



                            という話を簡単に。





 『解放されたエルサレム Gerusalemme liberata』は、実は説明が色々難しい事の多い叙事詩なのですが、敢えて簡単に言ってしまえば、




・トルクァート・タッソという詩人によって書かれ、

・1581年に出版された、

・第1次十字軍の史実を元にした、

今読んでも面白い!、一大叙事詩、



です。


【第1次十字軍のお話】

 史実で言うと1096年 〜 1099年、時のローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけで、キリスト教の聖地であるエルサレムを回復しよう、と遠征し、占領した第1次十字軍を扱ったもの。


 この遠征・占領の果てに、エルサレムの初代聖墓守護者となるのがゴドフロワ・ド・ブイヨン、イタリア語読みするとゴッフレード・ディ・ブリオーネと言う人なのですが、この第1次十字軍の指導者、という立場になる人物で、この物語でも総大将として描かれています。


 ただ、このタッソの書いた叙事詩は史実そのままではもちろんありません。物語としての脚色や、本来存在しない登場人物はもちろん、神様、天使や悪魔、魔獣、魔術に奇跡に反魔術など、様々な出来事が起こります。


 私の勝手なイメージで言うと、小説や映画の「指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)」の、ドワーフやエルフが出てこない代わりに、時折天使が出てきたり奇跡が起きる感じ、だと思ってます。そしてやはり、戦いはもちろん、色恋もあり、冒険もありと、この辺もまさにファンタジー小説のよう。


 物語とはいえ、叙事詩、定型詩ですし、古典にあたるものですから、人によっては退屈、と思う方もいるかもしれません(私も当初、手にして読むまでは、これを読むのは骨が折れるかなぁ、なんて思っていました)。古典ですから、イタリア人の中にも、学校で散々読まされて好きじゃなかった、なんて人も多分いっぱいいます。笑


 でも読んでみると、そして特に物語が進み始めると、とても面白いです。


 ちなみに邦訳版は岩波文庫から出ていて、訳者は『アミンタ』と同じく鷲平京子さん。


 是非みなさん一度、読んでみて下さい、、、と言いたい所なんですが、実は現在欠品していて、アマゾンなんかでは定価より高く中古が売られています。なんてタイミングの悪い。早く出して岩波さん。。


 ちなみに、読めばお話はきちんとわかるようになっているとはいえ、この上記邦訳版は詩の一部が抜けて解説のみになっており、日本語に完訳された本は今の所、存在しません。。


 邦訳は他に、同じく鷲平京子さん訳の1,2,3歌の一部分(だったかな?)を扱った物がかつて出ています。左の写真は私がかれこれ15~20年前に古本屋で見つけ買ったものですが、これも恐らく再販はしていないんじゃないでしょうか。。






【1581年出版、と言っていいのかな?】

 最初に説明が難しいと言った原因の大きな一つは、この出版年についてです。


 実は『解放されたエルサレム』は、ある意味、完成版のない本、と言えます。一度脱稿したのは1575年と言われていますが、その後タッソは知識人たちにその原稿を送り、校閲され、さらに加筆・修正が行われていきます。

そんな中、様々な要因からタッソは精神を病み、1579年に投獄されてしまうのです。


 実際に印刷されて本として出版される前から、このタッソの一大叙事詩は大きく噂されており、本人が投獄されたのをいい事に、まず1579年に第4歌のみが、1580年には一部除いた形で16歌までが『Il Goffredo』として出版、そして1581年には、ヴェネツィア、パルマ、カザルマッジョーレ、フェッラーラ、リヨンで、7(8?)種類もの版が、20歌そろった状態で出版されます。

 そのいずれもに若干の違いがあり、またこの時に題名『Gerusalemme liberata』がつけられていますが、出版社が勝手につけたものでタッソ自身がつけたものでさえなく、ただこの時にはもう既に人気は一人歩きしており、新たに題名をつけるまでもなかったのか、現在でもこの名前で通っています。


 同じ本が1年で7回、違う版で出版されるなんて事は、調べてはいませんが恐らくきっと他に類を見ないでしょうし、とにかく大人気であったようで数も刷られた、なんなら今現在でも、アンティーク本でこの1581年版が買えます。ネットで調べると結構出てきて、安い物だと30万円くらいで買えそうです。だれか買ったら見せてください。笑


 とにかくその後も版を繰り返しますが、1584年にマントヴァから出版された物が、脱稿した後の校閲に関わったシピオーネ・ゴンザーガが編纂に関わったとされ(これも近年では恐らく関わってはいないとされてますが)、これ以降の出版の底本となります。


 また、様々な手稿も残っているのが悩ましい所で、その為に、上記の最初期の版からして、どれが一番きちんと校閲されたものと言えるかも判断し辛い状況となっています。なにしろ75年に脱稿してから、最初に完成版が出るのは6年後、手稿にも加筆修正の段階があり、さらに20世紀になってからも新たにナポリで手稿が発見されたりしています。

 研究者たちの恐ろしいほどに涙ぐましい努力により、この手稿や印刷版にも良し悪しや校閲の過程、順番がある程度見定められてはいます。とはいえ、完成版がないのも、また事実です。


 特に第20歌の終盤などは、タッソが校閲の結果削ると決めたらしい部分さえ、出版者が手に入れた手稿から書き足して出版しています。とはいえそのおかげで現在の私たちは、アルミーダとリナルドの和解のシーンを読む事ができるし、さらにはその部分のマドリガーレも存在し、演奏することができるのですが。




 つらつらと書いてきましたが、語る事多いこの『解放されたエルサレム』。名残惜しいですが、今回はこの辺りで終わりにします!


さぁ、パンフレット原稿に戻らねば。。。



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