皆様、ご無沙汰しております、DolceAmaroです。
なんやかんやで、前回の公演が終わってから一度も書いていなかったようで…。
おかしいなぁ、なんか書いた気がするのだけど、途中まで書いて保存せず消えてしまったのかなぁ。
そんなこんなで、相当久しぶりですが、またツラツラと書いていこうと思います。
さて、ちょうど4ヶ月ほど前に前公演、南イタリアのマドリガーレが終わり、その後しばらくしてから次回公演「フレスコバルディのマドリガーレ」に着手しています。現在は、全曲音は出し終わり、音楽作りを進めている段階です、楽しくも難しくもある時ですね。
それとともに企画者は調べ物をしたり本を読んだりして、少しずつフレスコバルディという人の顔の輪郭をはっきりさせていこうとしているんですが、またこの人もなかなか面白いです。
結婚前に子どもできちゃってるとか、結婚して間もなく2人目産まれてる、とかそういうのも面白いは面白いのですが、音楽面でもまた、興味深いのです。
音楽が、南イタリア的要素を帯びている、と言えばいいのか。
たまたま、前回が南イタリアのマドリガーレで、今回がフレスコバルディだったから感じるのかな、とも思いましたが、恐らくそうではない。
と言っても、ジェズアルドやその周辺の、半音階や不均等?な和声進行の多用みたいな動きはほぼ皆無ですので、普通に聞くととてもそうは思わないのですが、、、モチーフの使い方や連続性、カデンツでの逃げなどなどが、半年前のいくつかの曲(例えばMacqueとか)を彷彿とさせる感じです。
いえ、きちんと細かくアナリーゼしたわけでもないので、そういう印象、程度の話ですが。
そう考えてみると、鍵盤の為の作品もマックやマイオーネ、トラバーチなどの鍵盤作品と通ずるようだし、83年に生まれたフレスコバルディは幼い頃からルッツァスキに習っていたのはおそらく間違いないとして、ジェズアルドたちがフェッラーラに来たのは93,4年、ルッツァスキ自身も間違いなく影響を受けていると思うし、多感な時期に師匠のもとへ現れたちょっと怖い偏屈な叔父さんやその周辺の音楽家達から、フレスコバルディ自身も影響を受けない事はなかったのかもしれません。
そういやマックも一度フェッラーラでマドリガーレ出版していますし。
ともかく「鍵盤作品に比べるとマドリガーレはおとなし目」という事一つとっても、南イタリアの鍵盤曲で有名な作曲家達とは共通点があるように思います。
いや寧ろ、もしかすると、ルッツァスキも含めて、そこで南イタリアの面々から教わった事も、少なくなかったのかもしれませんね。ルッツァスキの鍵盤作品は、本人が自分の名前で出版したものはないわけですから、どう言ったものを作って弾いていたかは本当のところはわからない。でも南イタリアの作曲家の傾向からして、マドリガーレ(5声と、女声たちの為の秘密の作品)をだけ見て、ルッツァスキの鍵盤曲がどういうものだったかを判断する事はできないわけで。
なんて色々な妄想を、心を400年前に飛ばしてする毎日です。
鍵盤曲については知らなすぎるので、もっと色々聴いたり調べたりしたいですね。
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