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マドリガーレ集3巻、献呈文について

執筆者の写真: dolceamarotokyodolceamarotokyo

皆様こんばんは、DolceAmaroです。


2月の公演「モンテヴェルディ:マドリガーレ集第3巻」に向けて、リハーサルを重ねています。

今回はメンバーの都合や体調不良で、リハの開始がズルズルと遅くなってしまったのですが、モンテヴェルディの音楽はスラスラと整い、これから細かく音楽を作っていく段階に入ります。


さて、今回のブログは、当時の楽譜の一番最初に書かれているお手紙のような文章、献辞、献呈文について書きたいと思います。


マドリガーレ集第3巻は、1592年に出版されています(左の表紙には1604年とありますが、これは再版で、私たちは今回の講演ではこれを見て歌います)。


表紙には書いていないですが、献呈先はマントヴァ公、ヴィンチェンツォ・ゴンザーガ。


ヴィンチェンツォはモンテヴェルディより5歳ほど年上で、マントヴァ公になったのはこの5年ほど前になります。


前マントヴァ公である父グリエルモ・ゴンザーガは音楽に造詣の深い公爵であり、マントヴァはヴィンチェンツォの前の時代から音楽都市でした。



聖バルバラ教会という教会がパラッツォ・ドゥカーレの奥に今もありますが、ここはまさにゴンザーガ家の教会、ローマからも特別な免除を得て、独自の典礼を行なっていたようです。


設計からしてグリエルモの元で音響を計算して作られており、そこでは様々な教会音楽が演奏されました。


教会にはアンテニャーティという人が1565年に作った素晴らしいオルガンが、今も現役で残っています(右。団長が歌っています)。




早速脱線しすぎましたが…。早速、献辞を見てみましょう。





せっかくなので、ドドンと大きく。


名前は入っていませんが、上部を見るとマントヴァ公に向けて書かれているのがわかりますね。ページの下の方は1曲目の楽譜がもう始まっています。


文章の最後の方には、「マントヴァにて、1592年6月27日」とあり、最後に名前が


Claudio Monteverde クラウディオ・モンテヴェルデ


とあります。

実は上の方にある表紙もそうなんですが、モンテヴェルディの楽譜はほとんど、いや多分全て?Monteverdeと書かれています。

なぜ現代ではMonteverdiなんでしょうね。謎です。



拙訳ですが、対訳を載せてみます。




「最も尊敬すべき殿下、マントヴァほか(モンフェッラート)公爵

あの日から、殿下、稀有な運命により殿下に仕えるようになったあの日から私は、閣下がそのご恩を怠惰な召使いに無駄に与えたわけではないと、少しでもお感じいただけるよう努めるを第一にしてまいりました。

すべての不毛でない植物が花の後に実を結ぶように、私の音楽の仕事についても、たとえ高貴なヴィオラ(Viola)の演奏が、幸運にも貴方へのお仕えの門を開いたとしても、奉仕を怠ることはありません。

ですが、これまで貴方にお仕えしてきた中で、私はまだ花を咲かせることしかできていないように思うのです。そして、これらがより永続的なものであるよう、果実に更に近づけられるよう、私はこれらを今、可能な限りの敬意を込めて閣下に捧げます。どうか寛大にそれをお受け取りくださいますよう。

それらはおそらく未熟で、貴方の洗練されたお好みには味気ないものかもしれません。しかし、それらは貴方のために心を込めて生み出されたものなのですから、貴方の御恩に対して全く相応しくないわけではありません。

太陽が植物の根から花へ、そして花から実へと力を引き出すように、私に希望を抱かせてくれるのです。

このように私の太陽である閣下、私に多大な影響を与え、またその輝かしい価値をもって光り輝く貴方を、私の太陽と呼ぶのは当然のこと、そして、貴方がいつもの寛大さをお示しくださることで、もし私の才能がヴィオラの音色によって貴方のために花を咲かせたのであれば、貴方の為にその実がより熟し、またよりふさわしくより完璧にお仕えできるよう願っております。

この願いを込めて謹んで頭を垂れ、神が常に閣下の尊きお身をその聖なる御加護のもとにお守りくださいますよう祈ります。


マントヴァにて、1592年6月27日。

閣下の最も謙虚で献身的な奉仕者 クラウディオ・モンテヴェルデ」




ということです。

典型的な献辞、と言ってしまえばそれまでなのですが、ちょっと素敵というか、洗練された文章だなぁと感じました。


モンテヴェルディがヴィオラ(・ダ・ガンバ)奏者として当初マントヴァに雇われた、というのは知られている事ですが、その事にかけ、

植物が太陽の光を浴びて、根から養分を吸い、花をつけ、実を結ぶことを通して、自分の作品の事を話しています。


これまでの作品はまだ花でしかなかった、マントヴァ公という太陽の元、それをさらに成熟させ、実とできるように頑張ったのが、この3巻、というわけです。素敵な言い回しだなぁと思います。


さらに言えば、Violaとは楽器のヴィオラの事でもありますが、スミレの花の事でもあり、スミレは「謙虚さ」や「美徳」の象徴でもあります。献辞において自ら謙る姿勢としては、話題に出す花としては最適なように思いますね。



そして献辞が終わってすぐに1曲目の楽譜が始まっていますが、1曲目は「La giovinetta pianta 若い草木は」という曲で、

まさに

若い植物が太陽の光を浴びて、美しく咲く事

そして

若い女性が愛する事によって、美しくなる事

を対比させたマドリガーレなのです。


間違いなく、1曲目のマドリガーレの詩を意識しての献辞の内容です。この献辞から1曲目への流れの妙たるや、「やるな、モンテヴェルディ…」と唸ってしまいます。



せっかくなので、1曲目の歌詞と対訳も載せておきましょう。

La giovinetta pianta

si fa più bell’al sole,

quando men arder suole.

Ma se fin dentro sente

il vivo raggio ardente,

dimostran fuor le scolorite spoglie

l’intern’ardor che la radice accoglie.


Così la verginella

amando si fa bella,

quand’Amor la lusinga e non l’offende.

Ma se ’l suo vivo ardore

la penetra nel core,

dimostra la sembianza impallidita

ch’ardente è la radice de la vita.

若い樹木は

陽に当たる事でより美しくなる、

さほど日照りの強くない間は。

だがその内側に

生き生きと燃え立つ光を感じると、

色あせた木の葉は外に表す、

根から吸い取り内に燃える熱を。


このようして若い乙女は、

愛する事で自らを美しくする、

アモーレが彼女を射るのでなく喜ばせる時。

だがもしもその彼女の生き生きとした熱が

その心に入り込めば、

その青ざめた顔は表現する、

命の源が燃えているのを。

ちなみにこの詩は作者不詳です。


もしかしたら、モンテヴェルディが書いた、なんって事だってあり得るんじゃないの?なんて思ったりします(…いや、流石にないか〜。どうでしょうね、皆さん。)




以上、今回は第3巻の献辞についてでした!

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