こんばんは、ドルチェアマーロです。
いよいよフレスコバルディ公演まであと2日。直前のリハーサルとGPを経て、あとは本番当日となりました!
今日は割とドルチェアマーロの活動の核心に迫る?マドリガーレの歌詞、と、フレスコバルディについて。
今回の公演で歌われる詩は、いくつかのAnonimoの詩の他には、
Giambattista Marinoがいつくかと、
Annibale Pocaterra
Cesale Rinaldi
Francesco Balducci が1曲ずつくらい。だったと思います。
Tasso もGuariniもないのが意外なところです。
フレスコバルディが、モンテヴェルディやマレンツィオ、その他大勢の『マドリガーレ黄金時代』?の作曲家達よりもひと世代後に位置するからなのでしょうか?
にしても一曲もないのは、敢えて外しているようにさえ感じます。モンテヴェルディと没年は一緒なわけですし、モンテヴェルディは生涯TassoやGuariniに作曲していましたし。
それになんてったってフレスコバルディはフェッラーラ出身。2人とは幼い時に会ってる可能性だって十分あるんじゃないかと思います。
とはいえMarinoを多用している点は、流行に乗っているとも言えますね。
今回の公演の準備で改めて思ったのは、イタリア詩は、難しい…けど美しいなぁ、と言う事。
リハーサルが始まるまでに全ての曲を訳して、当然ながら意味を取りながら音楽作りをしていくわけですが、こうして公演が近づくと、より一層音楽と言葉がリンクされてきて、相乗効果で音楽も言葉も、美しさが際立ちます。
各メンバーのソロとかなんて、言葉が際立つ所では、もううっとりしてしまいます。皆様もお楽しみに。
でも、そう美しい、けど、難しくもあります。
その点で、ある意味今回の『ジローラモ・フレスコバルディのマドリガーレ』はリハーサル中に思ったより悩んだ事がありました。
フレスコバルディは、生前から賞賛を沢山受けている作曲家(演奏家)ではあるのですが、いくつか、というか特にある人物から、散々に酷評をもらっていたりもします。
その酷評の中に「言葉が苦手」という点があるのです。
やれ、「歌詞をつけるのが苦手」、「言葉の意味が分からない」、「難しい単語は奥さんに聞かないと理解できない」、などなど…散々な書かれようなのです。
ここまで書かれるのは、恐らく単純にその人物と確執があったのか、ただ嫌われていたのか…まぁ何かしらあったのだろうとは思うし、流石に鵜呑みにできないなぁとは思うのですが、逆に言えば、これだけ言われるのだから、少なからずそういう傾向はあったのだろう、とも思えます。
そして今回、私達は実際にそれを「身をもって知った」のでした。
今回演奏する曲の中には、私の解釈では「恐らくフレスコバルディは詩の意味を若干履き違えているのではないか」と思われる点が、あります。畏れ多いけれど。
ある意味リハーサルの最後の方では、その部分をどう捉えて演奏するか、に費やした感さえありました。皆で落とし所を探り、うまくまとめられたかなと思っています。
そんな事もちょいちょいありつつも、やはり全体的には音楽も詩も、とても美しいです。
どんなふうに仕上げたか、是非会場でお聴きくださいね♪
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