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執筆者の写真dolceamarotokyo

フレスコバルディ(の楽譜)の思い出。S.P.E.S.

こんにちは。DolceAmaroです。

いよいよあと1週間程度で本番です。気になっている方は是非ご予約を!


今日は直接公演とは関係のない思い出話を。


フレスコバルディといえば、誰に聞いたって鍵盤曲の作曲家、という感が強いですよね。

なんで今回、フレスコバルディだったんでしょう。


実は結構前から、フレスコバルディの企画はDolceAmaroでやるのにちょうど良いんじゃないかなぁ〜と何となく思っていました。


マドリガーレ集を一冊書いている事も、アリエ・ムジカーリという魅力的な歌曲集があることも知っていたし、アリエ・ムジカーリにはソロ曲もデュエットもテルツェットもある。バスのソロまであるし、レチタティーヴォもあるし。みんなで勉強しつつやるのにぴったりかなぁ、などと。


でも、何となくやってみたいなぁと思っている事と、実際に企画して音楽を作りプログラムを立てる事はだいぶ違うなぁと痛感した企画でもありますが、ようやく何とか形にできそうで良かったです。


さて、では思い出話を少し。



実は私が初めて自分で購入した、古楽の楽譜のファクシミリ。それがアリエ・ムジカーリでした。


(左の写真は、モンテヴェルディ: オルフェオ)


まだS.P.E.S.がこのマークの通りの風景が見える、アルノ川沿いにあったのです。

S.P.E.S. Editoreは、今ではなくなってしまった、かつてフィレンツェにあった出版社です。主だった古楽の楽譜などのファクシミリを出版されていて、確か音楽分野だけでなく、いろんな本を出していたんだったと思います。


ボローニャのForni Editoreと並んで、当初私がお世話になった、2大ファクシミリ出版社。



今調べてみたら、ランフレディーニ宮という建物なのですね。


Lungarno Guicciardini 9r, Firenzeです。

住所がviaではなくてlungarno(アルノ川沿い)と言うのも、なんて素敵な住所♪と思った覚えがあります。今でも思いますけど。しかもGuicciardini。


当時23歳、一つ目の大学を出て一年後、それまで約一年間独学で学んだイタリア語で単身フィレンツェに行き、1ヶ月ほど語学学校に通っていました。


完全なる貧乏短期留学で、拙いイタリア語で学校と連絡を取り、部屋と朝食付きのホームステイ先を斡旋してもらい(今なら朝食もつけない。イタリアは朝食は超質素!笑)、昼は激安カルツォーネ、夕飯はものすごいチマチマと、買ったパンとチーズやハムで済ませてました。

カルツォーネのお店はBar的なお店で、席料なし!と明記されてて、日本で見る普通サイズのpizzaを畳んだような大きさのカルツォーネが、確か2euro以下だったんじゃないかな。ハム・チーズのとほうれん草の2種類あって、毎日通ってたら時々ブリオッシュをくれたり。

そうそう、ちょうど日本・韓国のワールドカップの年で、イタリア戦のある時間の、街の異様な静けさと、終わって買った直後の異様なお祭り騒ぎを覚えています。


そう、S.P.E.S.の話でした。


S.P.E.S.はたまたま見つけたんじゃなかったかと思います。通り沿いのウィンドウに楽譜が置いてあったんです。S.P.E.S.の楽譜はフィレンツェの特徴的なマーブル紙が表紙に使われていて、パッと見ただけでこれは!とわかるものでした。

そうそう、当時は海外で使える携帯なんてなかったんですよね。あったとしても持ってなかった。


意を決して入ると、2階まで伸びる全面が書棚の壁に囲まれた、薄暗くだだっ広い部屋。楽譜見たいんですけど、と奥から出てきたおじさんに伝えると、そのおじさんは奥から大量に持ってきて無造作に真ん中のでかいテーブルにドサドサと積み上げ。

その割と大量の楽譜を、ただ1人薄暗い中、これ座って良いの?と思うような豪華な椅子に座り、順番に小一時間めくり続けたのでした。


この時買ったのはアリエ・ムジカーリ、オルフェオ、そしてジェズアルドのマドリガーレ総譜(シモーネ・モリナーロ1613出版のやつ)、あとカッチーニのヌオーヴェ・ムジケ。いや、正確には2回行ったんだったかな。最初の時にカタログをくれて、それを見てもう一度行ったのでした。


懐かしい。たわいのない思い出話でした。お付き合いありがとうございました。


8月1日(木)19時、五反田文化センターホール、来てくださいね!!


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