こんにちは。DolceAmaroです。
8月1日の「フレスコバルディのマドリガーレ」公演に向けて動いております。曲も出揃い、またそろそろ通奏低音合わせも始まろうか、という所です。
それとともに、フレスコバルディその人についても、少しずつ調べを進めています。
何度も言うように、マドリガーレや声楽曲の作曲家、と言うよりは、断然、鍵盤楽器奏者、鍵盤曲の作曲家としての側面の方が大きく、偉大で、生前も後世もともにその分野で名を馳せる、と言う感じのフレスコバルディ。
しかし、これまでの公演パンフレットの作曲家紹介がそうであったように、基本的に紹介文は世俗曲、声楽曲を基本として書き、宗教曲や器楽曲については詳しくは書いていません。
ではあと何を書いているかといえば、紹介なので、どこで生まれて、こう言う家庭で、誰に師事し、どこで仕事をしたか、なんてことと、その他の面白エピソードを書いているわけです。
フレスコバルディについては以前からちょこっとだけ、歌の分野に関連することで調べていたこと、一般的に言われていることは知っていたのですが、、、
ありました。面白?エピソードが。
いや、面白くはないですが。
フレスコバルディは幼い時から、若い頃も、歳をとっても、また死後も、その後現代に至るまで、オルガニストとしては褒められまくり、他を凌駕し、端的に言って圧倒的な技術力と音楽センスを持っていたようなのですが、他のことに関しては、あまり得意ではなかった、ということのようです。
その書かれ方が、結構な書かれようで。
これだけ書かれた作曲家って他にいるのだろうか、と言うほどに、例えば
「非常に粗野な男」
「部屋を出ると何も1人ではできない」
「持ち合わせる知識は指先の知識のみ」
「読み書きについて無知」
「歌詞を満足に付けられず、難しい単語は意味がわからない」
などなど、散々な書かれ方をしています。
そしてまた、粗野だとか、部屋を出ると何もできない、指先の知識のみ、などと言ったコメントはともかく、後半の「読み書きについて無知」「歌詞を満足につけられない、難しい単語はわからない」と言うのは、詩に曲をつけて作曲されるマドリガーレや歌曲には致命的です。
そして実際、歌っている中で若干、歌いづらい部分は確かにあります。また、残念ながら私自身はそれほど、フレスコバルディ自身の書いた一次資料としての文章を直で訳したりは今回していないのですが、その手紙の文章の言葉遣いや表現なども稚拙であったりもするらしく、、、子どもの頃から音楽ばかりをやっていたからなのか、これが天才の常なのか。または昨今ギフテッドと言われるような人物だったのか。興味が尽きません。
そんなフレスコバルディの、マドリガーレと歌曲。
8月1日、ぜひ聴きにいらして下さいませ。
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