パンフレット内の作曲家紹介を書くのがなかなか難航していました。ようやく終わりそうです。
作曲家紹介、と言っても、フレスコバルディを書くのにほとんど鍵盤楽器には触れない、というおかしな紹介文ですが。
今日は前回に続いて、フレスコバルディの面白?(くはないけど)エピソードをご紹介。
この間も書いたとおり、フレスコバルディは幼い頃からまさに神童的な活躍でした。14歳の頃からフェッラーラで仕事してたり、ローマに移ってもすぐオルガニストの仕事をしていて。
25歳の時つまり1608年なのですが、ちょうど今回演奏するマドリガーレ集を出版した後に、ついにサン・ピエトロ寺院のオルガニストに第抜擢されます。
サン・ピエトロと言えば、今でもバチカンの総本山。当時からしても、キリスト教徒・オルガニストとしては大変に名誉な仕事を担うわけです。
そして事件?はその翌年に起きています。
1609年にフレスコバルディは、アンジェラさんという女性と不義を働いた?という話が残っていて、この頃にお世話になっていたパトロン、ベンティヴォッリォ家は上を下への大騒ぎ。
正直なところ時系列など詳細はまとめ切れてませんが、この話を有耶無耶にしようとしたのか、ベンティヴォッリォ家はカッチーニの娘(消去法的にセッティミアと思われます)と結婚させようとしたりしています。それもメディチ家側の意向でなしになり、結局はこのアンジェラと結婚させようとします。
が、フレスコバルディは「結婚するつもりでいた、でもあちらの家柄の問題などでやめた、そういう事は奥方様が最初に合わせる時に教えてくれるべきなのに、騙された」的な言い分。
結局このベンティヴォッリョ家の意向に、フレスコバルディは従わず、話は流れ、それとともにフレスコバルディはベンティヴォッリョ家から離れます。
そしてこの数年後フレスコバルディは結婚するのですが、ここでもちょっと不可解な記録が残っています。
その結婚の相手とは、オルソラ・デル・ピーノというミラノ出身の方だったそうですが、その2人の最初の子供は結婚の8ヶ月ほど前に生まれており、2人目も結婚の5ヶ月後。3人目の次男ドメニコが、ようやく嫡出子として生まれます。
というわけで、フレスコバルディは女性にモテた?のか、ちょっとだらしなかった?のか、輝かしい功績とは別の一面も、後世に残ってしまいました。
ただ、最初のアンジェラさんの件はどうだったか不明ですが、結婚した後は奥様とも仲良くしていたのか、5人の子どもに恵まれ、その後他都市へ引っ越したりする際にも、家族みんなで動いた記録が残っています。
あまりに音楽と関係ないですが、、、いや、ちょっとは関係するかな?実はこの件のアンジェラさんは音楽家ですし、また間接的にカッチーニなども話題に出てきますし。
そんな所で、今回はおしまいです。
いよいよ近づいてきましたフレスコバルディ公演。皆様お誘い合わせの上、ご来場くださいませ!
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