みなさんこんにちは。DolceAmaroです。
いよいよ第5回公演のリハーサルが始まりました!4月も既に下旬、山がいっそう緑深くなり、大倉山や小川町でのリハーサルは緑に囲まれながら爽やかに進んでおります。選曲も今回のリハでようやく確定、あとはじっくり読んで歌うのみです。
今回の公演は、題名の通り、全曲シジスモンド・ディンディアの作品。
ディンディアは、この16世紀後半〜17世紀初頭のイタリアの音楽を演奏する方、好きな方にはメジャーな作曲家だとは思いますが、一般的にはやはり知られていない作曲家だと思います。まずは簡単に、ディンディアという作曲家についてご紹介したいと思います。
Sigismondo d'India (c.1580-1629)
シジスモンド・ディンディア
ディンディアの幼少期の記録は、ほぼ何も見つかっていない、と言って良いかと思います。
サヴォイア家に仕えるようになる前までは、ディンディアの出版物には、表紙に必ず「Nobile Palermitanoパレルモの貴族」と記載があり、シチリアはパレルモの貴族の出である事がわかります。
家名は「インドの」を意味するD’India (di/da India)。インディアと言うから現在のインドに何かルーツがあるかというと、インディアン然り、fico d’india然り、必ずしもそうと言う訳でもなく、ただやはりルーツは異国なのかもしれませんね。
とはいえそもそもシチリアとは紀元前のギリシャとカルタゴの争いの頃から、ポエニ戦争、その後は良く知りませんがイスラムの都市となり、ノルマン人が台頭し、、、と、いろんな国になっている場所。何を異国というのかも最早わかりません。
そしてこのシジスモンド以外にディンディア家の情報は皆無に等しいです。Indiani という名の貴族も、古くはシチリア、そして北イタリアのヴェローナにルーツがある、という資料を確認したのですが結局詳しくはわかりません。
とにかく、どこでどのように音楽を学んだかなどは、全くと言って良いほどわかっていない作曲家ですが、1580〜82年頃の生まれだろう、と言われています。
本人記載の最初期の様子が1609年出版のソロ曲集「音楽第1巻」の献呈文、そして読者向けの文章に、色々興味深い事とともに書かれています。
「勉強したての頃(幼少期?fanciullezza)から音楽に詳しい人々と話す事を求め、自分の求める多声曲を、ソロを歌うように作曲する術(多声曲とソロ曲を歌うように作曲する術)を学んだ。」
と言っています。この他面白い事をこの前文で言っていますが、それはまたあとで。
最初の出版物は、この2年(3年)前、5声マドリガーレ集第1巻です。
1607年(1606年)の出版で、実物を確認できてはいないのですが(DolceAmaroで使っている楽譜はこの1607年版と1610年再版、どちらも献呈文なし)、マントヴァ公ヴィンチェンツォに献呈している、との事です。
ただこの1巻、1606年にミラノでも印刷されており、今でもイギリスに2パートとミラノに全5パート残されているのです(これも献呈文は残っていない)。
とはいえ07年出版の楽譜にはristampatoとは書いておらず、ミラノの版は見てないのでわかりませんが、ちょっとどう言う事なのかわかりません。。
1608年にはナポリで3声ヴィッラネッラ第1巻を出していますし、ローマではビアンチャルディのモテット集(1608年 )に曲を収めています。そして1609年に出版されているMusiche(音楽)第1巻も、ミラノ出版(出版社は別)。
前述の前文にあった通り、いろんな所に顔を出していたのがよくわかります。
ともかく、サヴォイア家に1611年4月1日付で仕えるまでは、ディンディアの足跡は至る所にあるようです。1606年にはマントヴァにおり、ここではきっとモンテヴェルディとも会ったでしょう、マドリガーレ1巻の出版された1607年はモンテヴェルディのオルフェオが2月末に上演されてます、きっと共に見たのではないでしょうか。
そして1608年ナポリで出版、1609年ミラノで出版していますが、先にも書いた前文では、フィレンツェに居て、ローマにも行った事が書かれています。フィレンツェではカッチーニの家に頻繁に赴いたようです。この音楽集1巻の献呈先はパルマ・ピアチェンツァ公ラヌッチョ・ファルネーゼで、翌1610年もパルマとピアチェンツァに居り、ここでサヴォイア枢機卿と出会い、5声マドリガーレ集第2巻をヴェネツィアで出版した翌年から、楽長としてサヴォイア家に仕える、という事です。年棒は200ドゥカトーネ銀貨。…すいません、高いのかわかりません。
とにかくその作品を聴けば、明らかにディンディアがこの17世紀の幕開けと共に起こった「新音楽」やモンテヴェルディのいう「第二の作法」などの実践者の一人なのはよくわかるのですが、それが本人の意思としても、前述の文章によく書かれているのがわかります。
..., e ritrovai che si poteva comporre nella vera maniera con intervalli non ordinari, passando con più novità possibili da una consonanza all’altra, secondo la varietà dei sensi delle parole, e che per questo mezzo i canti avrebbero maggiore affetto & maggior forza nel movere gli affetti dell’animo di quello, ...
〜そして私は、言葉のセンスの多様性に応じて、1つの協和音から別の協和音へとできるだけ奇抜に通過しつつ、通常でない音程を持つ本当の作法で作曲することができる事を、またこの手段により、歌の中で、その人の心の情感を動かす、より大きな情感と力を持つことになる事を発見した〜
この一文は、その前の文章によって、明らかにソロ曲についての言及である事はわかりますが、それが同時に多声曲の作曲にも関わってくる事は前述した一文でも、またその作品でもわかります。
そしてまた、1605年のモンテヴェルディのマドリガーレ5巻の、そして07年のScherzi musicaliでのモンテヴェルディ弟の文章に酷似する内容です。
どちらかと言えば、ディンディアの方が自ら「できるだけ奇抜に」と言っている辺り、今までの耳には強烈に聞こえる事を狙ってやっている、ともいえるかもしれませんね。
こう言う本人の言が出てくると、音楽がまた一段と生き生きと聴こえてくる気がしますね。面白いです。
短くパパッと書こうと思っていたのですが、思いのほか長くなったので…書きわける事にします。
続きがいつになるかわかりませんが、、、今日はここまで!
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