さて、『解放されたエルサレム』のヒロイン紹介もいよいよ3人目。クロリンダです。
アルミーダとクロリンダ、どちらがよく知られているのでしょう。
クロリンダはモンテヴェルディの「タンクレーディとクロリンダの戦い」で、アルミーダはオペラ『リナルド』や『アルミード』でよく知られていますね。
◆◆クロリンダ◆◆
イスラムの戦乙女。母はキリスト教徒のエチオピア人の王妃でした。
黒い肌の両親ながら、クロリンダは生まれた時から白い肌で(アルビノ)、不義を疑われると思った母は従者にその子を預け、同じ時期に生まれた黒い肌の子を代わりに育てました。母はキリスト教徒として育ててほしい、と伝えて預けますが、その従者はイスラム教徒として育てます。
この辺りのお話は、第12歌で夢のお告げを見たアルセーテの口から語られます。
◆第2歌◆
「キリスト教の祭壇にあるマリア様の絵を奪いモスクに置けば、魔法でこの街は守られる」という魔術師のイズメーノの話を聞き、絵を奪ってくるのですが、その絵は次の日、忽然と消えてしまいます。
魔術の要となる祭壇画が消えた事で、アラディーノ王は怒り、エルサレムに居るキリスト教徒を皆殺しにすると言います。
その時、肖像画を盗んだ犯人は私だ、と嘘の証言をしてソフローニアが立ち上がり、また彼女の身代わりとなろうと、ソフローニアに思いを寄せるオリンドも、いや私こそが犯人だ、と王の前に出てきます。
お互いに罪を被ろうとする2人にアラディーノ王は怒り、かくしてソフロニアとオリンドの2人は火刑に処される事に。
それを見ていたクロリンダは、二人が犯人ではないと見抜きます。
「肖像画が消えたのは、偶像を良しとしないマホメット自らの行いでは?」と進言するクロリンダの言葉に、アラディーノは考えをかえ、ソフロニアとオリンドの2人は助けられます。
この場面は、殺し殺され、また悲恋が重なり合うこの物語の中で唯一、ハッピーエンド的なエピソードとして書かれた場面です。相手がキリスト教徒であろうが、無実なら救う、というクロリンダの人柄も垣間見えます。
◆第3歌◆
両軍の最初の衝突です。
タンクレーディは戦場でクロリンダと相見えます。強者同士の戦いです、激しくぶつかる拍子に、クロリンダの兜が外れ宙に舞います。
ふわりと風に舞う金髪に、うら若き乙女の顔。その顔を見るなり、タンクレーディは石のように動かなくなってしまいます。彼はかつて水辺でクロリンダを見た時から、一目惚れしてしまっているのです。
クロリンダの攻撃を受けつつ、もはや反撃もできないタンクレーディ、クロリンダに、離れた場所で、2人きりでの一騎打ちを提案します。
それを受け入れ、離れた場所で向き合うと、今度はタンクレーディ「あなたが和睦を望まぬならば、どうかこの心臓を抉り取ってほしい、もう長い事これはあなたのものなのだから、なんなら鎧を脱ぎ捨てます」
何を言ってるんだこいつは…?とでもクロリンダは思ったか、その矢先、両軍の激しく攻め合いもつれ合う一軍がなだれ込んできます。
すれ違いざま、クロリンダを攻撃する十字軍の1人、それをなんとタンクレーディが遮ります。僅かに当たった攻撃は、クロリンダの首すじにかすかな傷をつけます。それに激怒したタンクレーディ、なんと剣を突きつけ、自軍の兵を追い回します。
呆然とその後を見つめるクロリンダ、(何だったんだ、いったい!?)彼女はタンクレーディの思いに気づくはずもありません。
◆第6歌◆
アルガンテとの一騎打ちの場面。「俺とやり合うのは誰だ!」悠々と進み出すタンクレーディですが、突然固まります。別の丘の上に、クロリンダが居たのです、兜をあげ、こちらを見ています。こうなるともう、アルガンテの言葉にも反応しません、反応どころか、聞こえてもいない、ただ呆けてしまいます。
ここではクロリンダは参戦しませんが、この顛末がどうなるか見てみましょう。
タンクレーディが出ないので、たまらず飛び出て、アルガンテ目掛け駆けるオットーネ。
どの口が言うのかタンクレーディは「下がれ、これは私の戦いだ!」と叫びます。ですがオットーネは既にアルガンテの眼前、果敢に挑むも倒れます。そしてタンクレーディとの一騎打ちが始まりますが、双方深い傷を負うも決着がつきません。夜になり、双方から水入りとなります。
そしてその後、クロリンダが軍議に参加する最中に、エルミニアによって甲冑を奪われてしまうのは、以前書いた通りです。
よければエルミニアの頁もご覧ください。
◆第11歌◆
戦乱の中、クロリンダの放った矢が十字軍総大将ゴッフレードの足を射抜きます。ゴッフレードは一旦その地位をグエルフォに預け退がりますが、天使の治療を受けすぐに復帰します。クロリンダの勇姿を見た城内の兵達、そして女性達までもが、奮起して立ち上がります。
◆第12歌◆
12歌の場面はほぼ全てクロリンダの場面です。全20歌の中の、中盤のクライマックス、と言えるでしょう。
夜。闇夜に紛れ、十字軍の攻城櫓に火を放ちに行く、アルガンテとクロリンダ。その前に従者のアルセーテが、クロリンダにその出生の秘密を打ち明けます。前述の通り、クロリンダは本当は、キリスト教徒の子として生まれたのでした。告白に感謝しつつも、今更生き方を変えられないクロリンダ。
ちなみにこの時クロリンダは、いつもの白く輝く鎧ではなく、闇夜に紛れる為黒い鎧を纏っています。エルミニアが奪ってそのまま去ってしまったから、いつもの鎧がなかったのでは?と思っていましたが、この辺り全般を読んでみてもそういった記述はなく、闇に紛れる為の黒く錆びた鎧、とタッソは書いています。白い鎧は予備があったにはあったのでしょうか?わかりませんが。
クロリンダとアルガンテは、松明と魔術師イズメーノの作った火薬とで、見事攻城櫓に火をつける事に成功します。
成功しますが、もちろん火を放てば十字軍側にもバレます。応戦しつつ退却した際、アルガンテは無事場内に戻れますが、クロリンダは気がつくと門を閉め出されてしまっていました。
これはしまった、とクロリンダも思ったでしょう、しかしクロリンダはしれっと十字軍に紛れ込み、密かにその場を離れ、別の門から戻ろうとします。そして、それを一人見定めていたのがタンクレーディです。駆けつけた途端、黒い鎧の敵が自軍の兵を屠ったのを見たタンクレーディは、目を離さずに尾行を続けていたのです。
この辺りからが、有名なモンテヴェルディのマドリガーレのシーンですね。
馬で追いかける音に気付きクロリンダが叫びます。
「かほどに急いで何を運ぶ!」
タンクレーディ「戦いと死を!」
「戦いと死はお前の物となろう!」
正々堂々、馬を降りて一騎打ちに挑むタンクレーディ、激しくぶつかり、傷つき傷つけ合います。剣と剣のみならず、兜と兜、盾と盾がぶつかりあい、抱きついて締め付けては振り解きます。タンクレーディはその抱き締める身体が誰なのかは、気づく事もありません。
ほのかに白み始める空、相手の方に多く傷があると見え喜ぶタンクレーディ。これほどに強い相手は誰なんだ?タンクレーディは問いただしますが、クロリンダは「誰であれ、あの櫓に火を放った2人のうちの1人なのは間違いない」と応えます。激しく怒るタンクレーディ、戦いは再開し、やがて、決着の時は訪れます。
タンクレーディの剣が、クロリンダの胸を深々と抉り、クロリンダの脚はわななきます。勝負はついただろうに、なおも執拗に追い詰めるタンクレーディ、倒れながらクロリンダが発した言葉はなんと、信仰・希望・愛の徳(キリスト教の三元徳)の言葉でした。
「友よ、お前の勝ちだ、お前を許す、お前はこの魂を許してほしい。罪を洗い流す洗礼を」。
タンクレーディは何かを感じ取り、何かわからないまま涙を浮かべます。自分の兜で近くの流れから水を汲み、洗礼を施そうと、なぜか震える手で、相手の兜を取ります。
見た途端、凍りつきます。
狂おしい程に愛した、クロリンダその人の顔です。
死ぬほどの苦しみを押し殺し、洗礼を施します。
クロリンダは喜びで微笑みます。こう語るかのように「天が開かれる、安らかに行きます」。
そして力無く冷たい手をタンクレーディに擡げ、和睦のしるしを与え、眠るように息絶えるのです。そしてそれを見届けたタンクレーディも、息絶えた如くに倒れ込みます。
目を覚ますと陣営の中、クロリンダの遺体は見えません。
自分はもう苦しみの中で生きるしかない、クロリンダの遺体はどこだ、獣に食われたのなら、私も食べてくれ、そうすればその胃の中で一緒になれる。。。
昼も夜もクロリンダを呼び、泣き続け、やがて泣き疲れて眠ると、やはりクロリンダの夢を見ます。
「わたしがどんなにここで美しくまた嬉しく過ごしている事か。あなたのおかげで、神の御許で喜びに満ちています。
あなたもいずれここへ来られるように、道を誤る事のなきよう、私はあなたを愛しています」と伝えて、光の中へ消えます。
この絵画と上のもう一枚は、ウルビーノで中村が撮影したものです。斜めですみません。。。
クロリンダは厳かな葬列により丁重に埋葬され、武具は墓の上に飾られていました。タンクレーディは重症ながらも、埋葬の翌日にはその墓に訪れます。
墓に辿り着き、押し黙り動くこともできず、やがて突然、堰き止めていた涙を流し「あぁ!」と一言。亡骸に届けてほしい、と、墓碑に口づけします。
ここからは余談です。
クロリンダとタンクレーディが愛し合っていた、という話を何度か耳に(目に?)した事があり、そういった描写が詩の中にあるかと、一通り探しましたが、クロリンダの生前に2人が思い合っていた、という記述は恐らくありません。
が、上にも書いた通り、死後、夢枕に立った時に「あなたを愛している(と、生きて、わかって下さい)」と告げています(12歌93連)。
例えば洗礼の場面で、タンクレーディが愛する人を目の前にしつつ、恐らく心の中は半狂乱になっていながら、坦々と洗礼の儀式をする、そしてクロリンダが微笑む、なんていう場面は、僕自身がただ自分の感情で読むなら「なぜここでこんな事を」と思わなくもありません。
でもこの場面がある事で、クロリンダは、タッソやこの叙事詩を読む人々の信仰するキリスト教の世界において、魂が救われ、永遠の命を得る、という事になるわけです。
この後に夢の中で愛してるって言わせるなんて、調子の良い話だなぁ、なんて思わなくもないですが(笑)、この叙事詩はやはり場面はエルサレムとその周辺であり、アルカディアではないわけですし、これを当時16世紀後半に読んだ人たちは、今を生きる、そしてキリスト者でもない僕よりはるかに、感動し心震わせたのだろうなぁと思います。
そして、キリスト者からするとやはり、この2人は愛し合っている、という事になるのだろうとも思います。
にしても…
「会話してるのになんで気づかないんだよ、声は聞いてたはずでしょ?」とか、
「エルミニアがあの時鎧を持っていってなければ、夜でも白い鎧で出たのかなぁ」、
「鎧がいつものだったなら、タンクレーディは気づいたかもなぁ〜、何やってんだよエルミニア」とか、思いません?
ドルチェアマーロのリハの合間にはよくそんな話が出ています。笑。
今回の企画『解放されたエルサレム』のマドリガーレは、やはり基本、重いです。その中で特にこの12歌の場面のマドリガーレは重く、リハ中に歌いながら、言葉を反芻し感情移入しすぎて泣きそうになるメンバーがちらほら出てます。
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